ご存知のとおり近世の大阪は庶民の町であり、町人文化の花開いたところです。
教育や学問についても、大阪商人はその富を学者の後援や私塾の開設に惜しみなく使いました。
約260年前の享保年間には、初等教育の含翠堂(東住吉区平野京町)や好学五商人の共同出資による懐徳堂書院(東区今橋)が開かれ、また成人教育としての混沌詩社が東区平野町淀屋橋筋に建てられ、頼春水、頼山陽親子を輩出するきっかけをつくりました。
くだって天保年間には緒方洪庵の蘭学塾「適塾」が開設されて福沢諭吉、大村益次郎のほか、明治維新の偉人傑士を数多く世に送り出しており、庶民教育に大きな貢献をいたしました。
また、堺は長崎と共に西洋文化の取り入れ口として幕末から明治にかけて蘭学、医学等の学問のほか、キリスト教伝道の窓口となり、明治以降キリスト教によって建てられた学校が14校、また仏教各宗派によって建てられた学校も男子校、女子校合わせて10校に及んでいます。
なおまた、商人の町大阪として当然のことながら明治から大正、昭和にかけて創立された男女の商業学校は17校に及び、工業学校も7校に達しています。
その他に、教育界、実業界の有識者がそれぞれの考えに基づき、溢れる教育愛に燃え多くの私学が創設されたなかに、特に女子教育を目ざして建てられた学校は18校におよび、男子校や進学校として建てられた学校も相当数に上がっております。
私学はそれぞれの創立者の建学の精神を守って、その教えを伝統にまで育て上げ、この伝統の上に立って、教職員、生徒が一体となり立派な校風を築いてまいりました。私学の誇りは生徒達の制服姿にも現れているように、学校の伝統に基づいて特色豊かな校風、スクールカラーの花を咲かせていることにあります。
大阪の私学は、民間の活力を生かし自主独立の精神のもと、自由闊達な教育を展開して我が国教育の重要な一翼をになうと共に、多くの有為な卒業生を世に送り、日本の発展と世界平和に大きく貢献してまいりました。